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東京高等裁判所 平成6年(ネ)3790号 判決

控訴人(被告) テキサス インスツルーメンツ インコーポレーテッド

被控訴人(原告) 富士通株式会社

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を三〇日と定める。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、第二審を通じ、被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文第一項と同旨

第二当事者の主張

当事者の主張の要点は、当審における主張を以下に付加するほかは、原判決「事実」の「第二 当事者の主張」記載のとおりである(ただし、原判決六頁四行目〔知裁集八七六頁八行目〕「一六三二八〇号」を「一〇三二八〇号」と、同一四頁六行目〔同上、八七九頁一〇行目〕「可能可能」を「可能」と各訂正する。)から、これを引用する。

一  控訴人の予備的主張

控訴人の予備的主張の骨子は、本件発明が「単一の半導体薄板」に形成されたすべての電子回路を対象とするとした場合、あるいは、「単一の半導体薄板」に形成されたすべての回路素子からなるすべての電子回路を対象とするとした場合でも、依然として、イ号物件、ロ号物件の全体が本件発明の「電子回路用の半導体装置」であり、本件発明の技術的範囲に属するということである。

1  本件発明の「距離的に離間」の意義

(一) 本件発明の要件(a)の回路素子(中の選ばれた薄い領域)間の「距離的に離間」は、物理的離間を意味し、この物理的離間は、不活性絶縁物質上の回路接続用導電物質による電気的接続のための前提条件である。「距離的に離間」という語は、要件(a)のみならず、要件(d)においても用いられている。そこで、要件(d)をみると、「上記互に距離的に離間した複数の回路素子中の選ばれた薄い領域が」に続き「上記不活性絶縁物質上の複数の上記回路接続用導電物質によつて電気的に接続され、上記電子回路を達成する為に上記複数の回路素子の間に必要なる電気回路接続がなされており」と記載されており、「距離的に離間」しているのは、「複数の回路素子中の選ばれた薄い領域間」を「導電物質」によって「接続」するためであることが明らかである。すなわち、要件(d)において、物理的離間がなく、二つの薄い領域が完全に接触していれば、同電位が与えられ、電気的に接続されているのと同じであるため、あえて回路接続用導電物質によって接続する必要はない。したがって、「選ばれた薄い領域」が「回路接続用導電物質」によって接続されるためには、そもそも「薄い領域」同士が物理的に離間していなければならないのである。

また、本件発明の目的、作用効果のうち、「高度の複雑さの回路の多様性」、すなわち、回路に融通性、多様性があるためには、回路素子間が物理的に離れていることが必要である。回路素子がすべて接触していることを想定すれば、距離的離間による回路の融通性の重要性が理解される。しかし、このような回路の融通性、多様性の確保の点からいっても、回路素子が他のすべての回路素子と物理的に離れていなければならないとまで解する必要はない。回路素子を配置した結果、隣接する回路素子間について回路接続用導電物質で接続する代わりに、これを接触させても、回路設計の融通性が失われないことは、自明の事項といえよう。

さらにいえば、このような回路設計を採用しても、本件発明の他の目的、作用効果である「コンパクトで機械的電気的に安定な装置」を可能とすること、「マスキング・エツチング及拡散の様な限定された両立性ある工程が一主面から成し得るので大量生産に適する」ことが何ら阻害されるものでないことも、また、明白である。

一般に、回路設計においては、まず、各回路素子の有すべき機能及びそのための構成を定め、半導体薄板上の回路素子のうち、必要な部分について距離的に離間して形成すべく、これらをマスキング、エッチング、拡散等の両立性ある工程を用いて半導体基板に作り込み、そのそれぞれの回路素子のうち距離的に離間された部分を不活性絶縁物質上の複数の回路接続用導電物質によって電気的に接続し、これにより融通性のある電子回路の設計をするのであるが、隣接した回路素子間において、物理的に離間させ回路接続用導電物質で接続する代わりに接触させても、融通性は何ら阻害されないし、また、コンパクトで機械的電気的に安定なことや一面加工による大量生産に適することが影響を受けることはないのである。

(二) 右のように、「距離的に離間」が電気的接続の前提条件を意味するということであれば、本来的に距離的に離間が必要とされるのは、すべての回路素子間ではなくて、「導電物質」によって「接続」されるべき「回路素子中の選ばれた薄い領域」同士の間であるということになる。また、回路設計において、融通性を阻害しない範囲で、一部の回路素子間に「距離的に離間」の存在しない箇所があったとしても、この要件の意義が、回路の融通性を達成するところにあるとすれば、その回路中の他の必要な回路素子間において、「距離的に離間」があり、その上に「不活性絶縁物質」と「回路接続用導電物質」が存している限り、「距離的に離間」の要件を満たしている。この意味で、本件発明の要件(a)にいう「距離的に離間」は、すべての回路素子間に必要とされる合理的理由はない。

(三) 以上のとおり、本件発明の要件(a)にいう「距離的に離間」は、ある回路素子が他の回路素子との間に物理的に離れていれば足り、他のすべての回路素子と物理的に離れていることまで要求していないのである。この解釈は、融通性のある電子回路の形成、コンパクトで機械的電気的に安定な装置の実現、一面加工による大量生産に適しているという本件発明の目的、作用効果にも合致する。

特許請求の範囲の記載においても、すべての回路素子間に距離的に離間が必要とは記載されていないから、右の解釈は、特許請求の範囲の文言とも矛盾しない。

2  イ号物件のソース共通、ドレイン共通

(一) イ号物件には、ソース又はドレインのいずれか(以下「ソース(ドレイン)」と表示する。)が共通に設けられているMOSFETが存在する。

このようなソース(ドレイン)共通のMOSFET間は一見本件発明の要件(a)を充足していないかのようにも考えられるが、要件(a)の技術的意義に照らし、MOSFETにおけるソース(ドレイン)共通の技術的意義を考えれば、このようなソース(ドレイン)共通のMOSFETを含む回路であっても、本件発明の要件(a)を充足すると解すべきである。

すなわち、MOSFETにおいてソース(ドレイン)を共通にすることの目的、効果は、回路素子の集積度を上げることである。いいかえれば、ソース(ドレイン)共通とは、回路設計上可能な場合には、導電物質のコンタクト部分を二つ設ける代わりに、一つだけ設け、スペースの節約を図り、回路の集積度を高めるものである。

したがって、あるMOSFETとあるMOSFETのソース(ドレイン)に同電位を与える場合、両MOSFETが隣り合わせにできるときは、集積度を上げるために共通ソース(ドレイン)とすることは、単なる回路設計上の問題にすぎず、このことは被控訴人自身も自認していることである。

また、共通ソース(ドレイン)といっても、その全体の領域がすべてソース(ドレイン)として機能する訳ではない。厳密な意味でソース(電荷の供給)領域、ドレイン(電荷の受取)領域として機能するのは、ゲート直下のソース(ドレイン)領域にすぎず、それ以外の部分は導電物質と接続するためのコンタクト部分にすぎない。共通ソース(ドレイン)を有するMOSFETであっても、トランジスタとして別々に機能するものである。

(二) 本件発明の「複数の回路素子」のうち、ある特定の回路素子が他の特定の回路素子とそれぞれ一部において互いに接触しているという場合、これらの特定の二つの回路素子から他のその余の回路素子をみると、すべて物理的に離れており、導電物質で接続する前提が備わっている。したがって、このように、特定の複数の回路素子間において、一部互いに接触する部分が存在したとしても、これら特定の複数の回路素子と他の複数の回路素子との間を適宜物理的に離間させて配置することによって、融通性、多様性のある電子回路を達成することができる。

すなわち、ソース(ドレイン)共通ということは、特定のMOSFET間のソース(ドレイン)間のみが物理的に離れていないということであって、その余のMOSFETとの間はいずれも物理的に離れており、導電物質による回路接続の前提条件を満たしている。また、本件発明の特徴である平面状配置された電子回路を達成するうえで、MOSFETがソース(ドレイン)共通に構成されていることは、回路の融通性及び多様性に何ら支障を生じさせるものではない。

(三) 本件発明の発明者であるジャック・キルビーがソース(ドレイン)共通の構成を排除していないことは、優先権証明書の記載(甲第六号証の二の2、七頁一八行から末行、乙第三四号証五頁一九行から二七行)からも裏付けられる。この優先権証明書の記載は、MOSFETやMOSFETのソース(ドレイン)共通について直接開示してはいないが、物理的に離れた回路素子の「薄い領域」間を導電物質で接続する代わりに、これらを互いに接触させてしまうことは、回路設計上容易にできるし、こうすれば、一つの端子で済み、二つの端子を設ける必要のないことを示唆しているのである。

(四) 以上のことからして、MOSFETがソース(ドレイン)共通であっても、本件発明の要件(a)を充足するものと解さなければならない。

3  イ号物件のメモリセル

イ号物件のメモリセルはMOSFETとキャパシタとからなり、キャパシタは、本件発明の「薄板の主要な表面に終る接合により画定されている薄い領域」を有しておらず、また、MOSFETのソースに接触して形成されている。このため、メモリセルを構成するMOSFETとキャパシタは、一見本件発明の要件(a)及び(b)を充足していないようにみえる。しかしながら、以下に述べるとおり、イ号物件のメモリセルも本件発明の要件(a)及び(b)を充足する。

(一) イ号物件においてメモリアレイ部分を構成する各メモリセルは、いずれも一体に形成されたMOSFETとキャパシタから構成されている。そして、メモリセルは、「論理1」又は「論理0」のデータを記憶するという単一の機能を有しており、メモリアレイ部分という全体の記憶回路の中で、各メモリセルが一つの回路素子として機能している。すなわち、メモリセルはMOSFETとキャパシタをともに備えてはじめて、回路素子として機能するのである。イ号物件における一メガビットDRAMという一般的名称も、この各メモリセルを一単位としてとらえ、各単位メモリセルが約一〇〇万(一メガ)単位あることに由来している。

したがって、イ号物件においては、メモリアレイ部分におけるメモリセルは一つの回路素子として理解すべきものである。メモリセル内部において、MOSFETのソースとキャパシタが接触していることは、回路素子内における部分的接触を意味するにすぎず、本件発明の要件(a)を充足しないことを示すものではない。また、要件(b)についても、メモリセルは、そのMOSFETの部分において、ソース、ドレインという「薄板の主要な表面に終る接合により画定されている薄い領域」を「少なくともひとつ含んで」おり、本件発明の要件(b)を充足する。

(二) 仮に、MOSFET及びキャパシタからなるメモリセルを一つの回路素子と理解することができないと解し、かつ、キャパシタは「薄い領域」を含んでいないから、本件発明の「複数の回路素子」に該当しないと解するとしても、イ号物件において、本件発明の要件を充足する「回路素子」が複数存在し、これにより平面状配置された電子回路が形成されていれば、本件発明の要件を充足しない回路素子を含んでいたとしても、本件発明の「電子回路」であることに変わりはなく、本件発明を実施していることは、明らかである。また、作用効果の面から考えても、キャパシタの存在により「マスキング、エッチング及び拡散の様な両立性ある工程」を一主面からすることができ、「高度の複雑さ」と「多様性」を有する回路を含む「コンパクトで機械的電気的に安定な装置」を得ることができるという本件発明の作用効果は、何ら阻害されることはなく、依然として、イ号物件の記憶回路が本件発明の作用効果を利用していることは疑いがない。

(三) なお、イ号物件のメモリセルを一種の複合構造の素子と捉えても、同様な結論を導くことができる。

すなわち、複合構造の素子(エミッタ、ベース、コレクタなどを共通にする素子)は、本件特許出願の優先権主張日以前から知られていた。イ号物件のメモリセルも、このような複合構造の素子と同様に、本来は二つの素子ないし機能を複合化して一つにして利用しようとするものとみることができる。イ号物件のメモリセルは、キャパシタがMOSFETに積み上げられたいわゆるスタックト構造になっているが、従来は、このようなキャパシタをMOSFETと離間させて半導体基板に形成して導電物質で接続していたが、集積度を上げるためにスタックト構造が採用されるに至った。このような技術発展の経緯をも参酌すれば、イ号物件のメモリセルが複合構造の素子(スタックトセル)とみるべき合理性は明らかである。

回路素子として複合構造の素子を用いた場合と同様に、多数のメモリセルを物理的に離して平面状に配置して電子回路を形成すれば、本件発明を実施していることになるのは明白である。この場合に、本件発明の前示目的及び作用効果が達成されるという点においても、何ら異なるところはない。

4 以上述べたところに基づけば、イ号物件のメモリアレイ部分(2) 、センスアンプ部分(2) 、基板バイアス回路部分、ロ号物件の記憶回路部分及び出力バッファ回路部分のいずれもが、本件発明の構成要件を充足し、本件発明の作用効果を奏しているということができる。

したがって、イ号物件及びロ号物件は、構成及び作用効果のいずれの点からみても、本件発明の技術的範囲に属する。

二  被控訴人の反論

1  控訴人の主張1について

(一) 控訴人は、本件発明の要件(d)によれば、要件(a)の「距離的に離間」は回路素子の薄い領域を導電接続するためであるというが、理由がない。

本件発明の特許請求の範囲の冒頭の要件は、半導体薄板内の「複数の回路素子」を規定し、要件(a)は、「上記の複数の回路素子は、上記薄板の種々の区域に互に距離的に離間して形成されており」と規定し、要件(b)は、各回路素子がそれぞれ接合によって画定された薄い領域を有することを規定し、その後に、要件(d)で、「上記互に距離的に離間した複数の回路素子中の選ばれた薄い領域が・・・回路接続用導電物質によって電気的に接続され・・・」と規定している。

この各要件の記載の流れからみると、要件(d)の「互に距離的に離間した」は、その直後の「複数の回路素子」を修飾しているのであって、「選ばれた薄い領域」にかかるのではない。

また、要件(d)の「上記互に距離的に離間した複数の回路素子中の選ばれた薄い領域が・・・回路接続用導電物質によつて電気的に接続され」とは、複数の回路素子のそれぞれが互いに距離的に離間しており、その複数の回路素子中の特定の回路素子内の薄い領域が他の特定の回路素子内の薄い領域とだけ選択的に導電接続されている趣旨を述べているのである。

互いに距離的に離間された複数の回路素子の各薄い領域のうち、特定の薄い領域同士が回路を形成するために選択的に導電接続されているからといって、互いに導電接続されていない回路素子の薄い領域間の距離的離間までが導電接続のためであるといえないことは、明らかである。

(二) 本件発明における離間と導電接続との関係は、薄い領域を導電接続するために離間させているのではなく、本来回路素子が離間されているので、選ばれた回路素子の薄い領域同士を導電接続することにあり、これによって電子回路を完成しているのである。

本件明細書の一般説明を検討しても、その唯一の開示例をみても、控訴人主張のような趣旨を説明している箇所はなく、この開示例の示すところは、右に述べたことを裏付けている。

2  同2について

(一) 本件発明の回路装置は、回路素子の薄い領域にせよ他の領域にせよ、これらを互いに接触させたのでは動作可能な回路にならないがゆえに、すべての回路素子を互いに離間して配置するのであり、その上で、さらに必要とされる薄い領域間の電気的接続のため、導電物質による接続の手段を採っているのである。換言すれば、本件発明は、複数の各回路素子の薄い領域からその下の領域までを互いに離間させることによって回路装置を構成しているところに特徴があり、薄い領域を有する回路素子の接触ないし部分重合の否定を前提にして成立しているということができる。

これに対し、MOSFETの構造は、バイポーラトランジスタの構造(半導体薄板内の薄いベース領域内の一部分にエミッタ領域を設けている。)と全く異なり、ソース及びドレインの各薄い領域を半導体基板内表面に並べて設け、ソースとドレイン間に介在する反対導電型の基板表面をチャネル形成領域とし、その直上に設けたゲート電極への入力信号によって動作を制御している。このような独特の構成であるため、二つのMOSFETは、そのソース又はドレインを共通にしても、各独立に単位情報を処理することが可能なのである。このようなことが可能なのは、バイポーラトランジスタと異なり、MOSFETは自己分離型であるからである。

イ号物件では、メモリセルを構成するMOSFETの全数及びセンスアンプ回路部分と他の回路部分にある全MOSFETの約半数がドレイン(又はソース)を共通にしているが、これはMOSFETの採用によって可能となった構成である。

したがって、イ号物件の距離的に離間していないMOSFETが本件発明の要件(a)を充足するという控訴人の主張は失当である。

(二) 控訴人は、ソース(ドレイン)を共通にする目的は、半導体装置の集積度を上げることにあり、そのために、同電位が与えられる二つのMOSFETのソース(ドレイン)を共通化する構成を採るのは、単なる回路設計上の問題にすぎず、このような構成によって、本件発明の目的とする効果を奏することに変わりはないと主張するが、首肯できない。

二つの回路素子の同電位を与える領域は共通にしてよいという一般論は無条件で成り立つものではない(例えば、本件発明の開示例のトランジスタT1とT2の各エミッタには同電位が与えられるが、トランジスタT1とT2の各エミッタを接触重合させたのでは、動作可能なマルチバイブレーターにならない。)が、MOSFET及びメモリアレイの構成原理を知っている当業者にとっては、イ号物件のようなドレイン共通の構成を発想することが特別に困難なことであるとまでいうことはできない。

しかし、それは、MOSFET及びこれを用いたメモリアレイが公知になった時点以降での話であり、このことから、イ号物件のMOSFETの部分重合構成が本件発明の構成の単なる設計変更であると帰結することはできない。前述したとおり、MOSFETとバイポーラトランジスタとは基本的な構造及び動作原理を異にしており、DRAMのメモリセルでは、MOSFETを用いるからこそ薄い領域の重合が可能なのである。

本件明細書の開示から、イ号物件のメモリアレイ部分のような約一〇〇万個のMOSFETのいずれもが他の隣接する一個のMOSFETとドレインを共通にして部分的に重合した構成を想到することはできない。集積度の向上という目的は、集積回路にとって当初の目的であり、どの程度の集積度向上の目的が達成できるかは、各発明の構成によって異なる。イ号物件は、集積度の向上という課題の解決手段において本件発明と大差があり、その結果、本件発明の構成では達成できない著しいコンパクト化を達成している。この差は、単なる量的なものではなく、質的な差異といえるものである。

この意味で、本件発明からの設計容易論は成立しないことが明らかである。

3  同3について

(一) 控訴人は、本件発明の回路素子を、物的装置を構成する「素子」という観点からではなく、その電気的機能ないし情報処理という観点から、その単複を論じ、イ号物件のメモリアレイ部分のメモリセルは一つの回路素子と理解すべきであるとしているが、控訴人主張のようなMOSFETとキャパシタとが接触して一体に形成されていること、メモリセルを構成するのに欠かせない要素であること、「論理1」又は「論理0」のデータを記憶するという単一の機能を有していることをもって、回路の単複をいうことはできない。

本件発明の「回路素子」とは、種々の電子回路又は回路装置の個々の構成要素を電気的な単位機能(電子を流し、蓄積し、流れを遮断し、制限し、制御し、増幅するなどの物理的機能)の面からみたときの「回路素子」である。トランジスタは一個の回路素子であり、キャパシタも一個の回路素子であり、これが電子回路一般に通ずる考え方である。

控訴人は、MOSFETは本件発明の「回路素子」に該当するとしているが、そうであれば、イ号物件のメモリセルを構成するキャパシタも個別素子としてのキャパシタと同様の単一の機能を有しているのであるから、その意味で一個の回路素子といわなければならない。そうすると、一メモリセルは二つの回路素子からなると解するほかはない。イ号物件のメモリセルは、スタックト形であり、そのキャパシタは半導体基板外に配置され、PN接合を有せず、MOSFETのソース領域と直接接触している。この構成は、全回路素子を半導体薄板内に距離的に離間させて配置した本件発明の回路装置との大きな相違点である。

(二) 控訴人は、仮にメモリセルを構成するキャパシタが一個の独立の回路素子であるとしても、本件発明では抵抗Rのような要件(a)の特徴を有しない回路素子の存在を排除していないから、イ号物件の右キャパシタは無視できると主張する。しかし、回路素子間のバルク抵抗は、半導体薄板内に回路素子を離間して作ると右素子間に必然的に形成される限界の明確でない領域であり、本件明細書は、バルク抵抗を本件発明の「回路素子」とはみていない。これに対し、イ号物件のメモリセルのキャパシタは、明確な区画を有するものとして積極的に形成されており、情報が随時書き込まれ読み出されるために必須不可欠の重要な回路素子であり、これを無視してDRAMの電子回路を語ることはできない。バルク抵抗とキャパシタとを同類視する論は失当である。

4  同4について

(一) イ号物件は、約一一〇万個のMOSFET(そのうち、メモリアレイ部分に約一〇〇万個、センスアンプ部分に約一万六〇〇〇個、その余の部分回路のうち、基板バイアス回路部分に六三個)を有する。

メモリアレイ部分のビット線方向に並ぶ計約一〇〇万個のMOSFETは、イ号物件目録第5、第6図に示されているとおり、ビット線方向に隣り合う一対のMOSFETが二個ごとにドレインを共通にして部分的に重合しており、センスアンプ部分のMOSFET約一万六〇〇〇個のうち、センスアンプ回路を構成する約八〇〇〇個のMOSFETは、同目録第10、第11図に示すMOSFETのように、ワード線方向に隣り合うものが二個ごとにソースを共通にして部分的に重合している。基板バイアス回路部分のMOSFET六三個をみても、そのうち二八個は、隣り合うMOSFETとソース(ドレイン)を共通にして部分的に重合している(甲第一七号証の一)。これらのMOSFETは一個ごとに独立していない。

このように、イ号物件の基板の種々の区域に形成されているMOSFETのほとんど全部(全数の九六%以上)は、互いに接触し又は一部分が重合しているのであって、この構成は、本件発明の要件(a)の回路素子の「互に距離的に離間して形成され」た構成と全く異なる。

これらの各MOSFETは、部分重合しているMOSFET以外の隣るMOSFETとは極めて短い距離で隔てられているが、この距離間隔はバルク抵抗によりMOSFETの電気的分離を達成する間隔ではなく、電気的分離は、LOCOS酸化膜とその下のP+領域によっている。

また、メモリアレイ部分のメモリセルを構成する約一〇〇万個のキャパシタは、同目録第6図、第7図に示されているように、前記MOSFETの直上の半導体基板外の上部に、右各ソースと直接に接触して配置されており、右MOSFETと距離的に離間していない。

すなわち、イ号物件は、本件発明の要件(a)を充足しない。

(二) ロ号物件の記憶回路部分の同一メモリセル内の一対の書込用ダイオードとスイッチ用ダイオードとは、ロ号物件目録の第6図のダイオードのように、二個ごとにアノードを共通にして部分的に重合しており、距離的に離間していない。また、出力バッファ回路のショットキー・クランプト・トランジスタのトランジスタのベースとショットキーダイオードのアノードとは、同目録第12図aに示したように、それぞれ直接に接触しており、右トランジスタとダイオードとは距離的に離間していない。

これら互いに接触し又は部分的に重合しているダイオードやトランジスタと隣る回路要素との間は、極めて短い距離で隔てられているが、この距離間隔は電気的分離を達成する間隔ではなく、電気的分離は、二酸化シリコン隔壁によっている。

すなわち、ロ号物件は、本件発明の要件(a)を充足しない。

第三証拠〈省略〉

理由

一  本件特許権及びその取得の経緯等

請求の原因1ないし3の各事実及び被控訴人(原告)に訴えの利益があるとの点並びに本件明細書の特許請求の範囲の記載が原判決添付の本件公報の写しの該当欄記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。

本件特許権取得の経緯及び原々発明の出願手続、原発明の出願手続の経過の詳細については、原判決「理由」第二の三記載のとおりであるから、この記載(原判決一八二頁三行から一八七頁一〇行〔知裁集九三九頁一九行から九四二頁一行〕)を引用する。

二  本件発明に係る分割出願の適否

前示のとおり、本件発明は、旧特許法(大正一〇年法律第九六号)に基づき昭和三五年二月六日に出願された特願昭三五-三七四五号(一九五九年二月六日及び同年二月一二日の各米国特許出願に基づく優先権主張)を原々出願とし、同特許出願からの分割出願として昭和三九年一月三〇日に特許出願された特願昭三九-四六八九号(前記優先権主張)を原出願とし、同特許出願からの分割出願として、昭和四六年一二月二一日、前記一九五九年二月六日の米国特許出願第七九一六〇二号に基づく優先権を主張して特許出願された(特願昭四六-一〇三二八〇号)ものである。

被控訴人は、本件発明に係る分割出願は不適法であり、本件発明の出願は出願日遡及の利益は受けられないと主張するので、まず、この点について判断する。

1  原出願に係る発明と本件発明との対比

(一)  原出願は、前示のとおり、再度の抗告審判における拒絶審決を維持した東京高裁昭和五五年(行ケ)第五四号審決取消訴訟の昭和五九年四月二六日判決の確定により、拒絶査定が確定したものであるが、同判決が「本願発明の要旨」として掲げるところ(甲第四号証三丁表一一行から四丁表二行)が、その最終的な補正後の明細書(以下、図面を含めて「原出願補正明細書」という。)の特許請求の範囲の記載と同じと認められるところ、この記載は、次のとおりである(以下、この記載による発明を「原発明」という。)。

「一主面を有する単一の半導体薄板よりなる半導体装置において、該薄板に形成され、上記一主面で終るP―N接合により画成された少なくとも一つの領域を含む少なくとも一つの受動回路素子、

該受動回路素子との間に必要な絶縁を与えるように、該受動回路素子から離間されて上記薄板に形成され、上記一主面で終るP―N接合により画成された少なくとも一つの領域を含む少なくとも一つの能動回路素子、

上記一主面を実質上全部被覆し接触部のみを露出するように上記領域の少なくとも二つに対応して設けられた孔を有するシリコンの酸化物よりなる絶縁物質、

該絶縁物質に密接し上記少なくとも二つの領域間に延び上記孔を通して上記領域を電気的に接続する電気導体とを具備する事を特徴とする半導体装置。」

(二)  一方、本件発明の特許請求の範囲の記載が、次のとおりであることは、当事者間に争いがない。

「複数の回路素子を含み主要な表面及び裏面を有する単一の半導体薄板と;

上記回路素子のうち上記薄板の外部に接続が必要とされる回路素子に対し電気的に接続された複数の引出線と;

を有する電子回路用の半導体装置において、

(a) 上記の複数の回路素子は、上記薄板の種々の区域に互に距離的に離間して形成されており、

(b) 上記の複数の回路素子は、上記薄板の上記主要な表面に終る接合により画定されている薄い領域をそれぞれ少くともひとつ含み;

(c) 不活性絶縁物質とその上に被着された複数の回路接続用導電物質とが、上記薄い領域の形成されている上記主要な表面の上に形成されており;

(d) 上記互に距離的に離間した複数の回路素子中の選ばれた薄い領域が、上記不活性絶縁物質上の複数の上記回路接続用導電物質によつて電気的に接続され、上記電子回路を達成する為に上記複数の回路素子の間に必要なる電気回路接続がなされており;

(e) 上記電子回路が、上記複数の回路素子及び上記不活性絶縁物質上の上記回路接続用導電物質によつて本質的に平面状に配置されている;

ことを特徴とする半導体装置。」

(三)  この両者を対比する。

(1)  原発明も本件発明も、ともに、「半導体装置」を対象にするものであり、この点において差異はない。

また、原発明の「半導体装置」と本件発明の「半導体装置」は、ともに、「単一の半導体薄板」を有するものであり、この点においても差異はない。

この「単一の半導体薄板」につき、原発明は「一主面を有する」とし、本件発明は「主要な表面及び裏面を有する」としているが、原発明における「一主面を有する」とは、薄板の面のうち他の面よりもはるかに面積の大きい面を「主なる面」すなわち「主面」と呼び、これを少なくとも一つ備えていることを意味するものと認められ、薄板である以上、この主面に対向するもう一つの面積の大きい面が必然的に存在し、この対向する二つの主面の一方を表面と呼べば、他の主面は裏面と呼ばれることは日常の用語としても明らかであるから、原発明における「一主面を有する」と本件発明における「主要な表面及び裏面を有する」とは、その意味するところに変わりはないものと認められる。両者は、この点において差異はない。

本件発明の半導体薄板は、「複数の回路素子を含(む)」ものであるが、原発明の「少なくとも一つの受動回路素子」も「少なくとも一つの能動回路素子」も「薄板に形成され」ているから、原発明の半導体薄板も、複数の回路素子を含むものであることは、明らかである。

なお、本件発明の「半導体装置」は、「電子回路用の半導体装置」とされているが、原発明の「半導体装置」も、「受動回路素子」と「能動回路素子」とを「電気的に接続」してなるものであるから、「電子回路用の半導体装置」であることは自明であり、この点において両者が同一でないとすることはできない。

控訴人は、原発明は、電子回路全体に係るものではなく、能動回路素子と受動回路素子との電気的接続態様に係るものであると主張するが、理由がない。

(2)  本件発明においては、その「半導体装置」が「上記回路素子のうち上記薄板の外部に接続が必要とされる回路素子に対し電気的に接続された複数の引出線」を有することが要件とされているが、原発明においては、この要件が特許請求の範囲に記載されていない。

この引出線は、本件明細書(以下、図面を含めていう。)に開示されている本件発明の唯一の実施例であるマルチバイブレーター回路を説明する第1図において、薄板の裏面から突き出た50の番号を付した部分として示されており、これにつき、本件明細書には、「金張りコバル引出線50が適当な位置に薄板に合金化する事により接続される。コバルは鉄-ニツケル-コバルト合金の商品名である。」(甲第二号証3欄三三行から三五行)、「裏面に引出線50を具備する。」(同5欄二行)と記載されている。一方、原出願補正明細書の図面(甲第四号証判決添付別紙一)の第1図は、本件明細書の第1図と実質的に同一の図面と認められるところ、これには、原発明の実施例として、本件発明の右実施例と同じ薄板の裏面から突き出た引出線50を備えた同一のマルチバイブレーター回路が図示されており、この引出線につき、原出願の出願当初の明細書(以下「原出願当初明細書」という。)には、本件明細書の右前者の記載と同一の記載がある(甲第三号証の五の2、一八頁八行から一〇行)ことが認められるから、原出願補正明細書にも、これと同旨の説明がされているものと推認される。このことからして、両発明において引出線の技術内容に特段の差異があるものとは認められない。

そして、電子回路用の半導体装置において、それが電子回路用の半導体装置として作動するためには、その回路素子が薄板の外部と電気的に接続される必要があることはいうまでもなく、そのために回路素子に対し電気的に接続された引出線を設けることは当然かつ不可欠の事柄であり、このことは当業者にとって自明のことと認められる。

そうすると、原発明においても、その引出線は半導体装置として当然かつ不可欠なものとして備えているべきものと認められるから、本件発明において、この引出線についての記載が特許請求の範囲に書き加えられているとしても、このことのゆえに、本件発明が、原発明の特許請求の範囲に記載された半導体装置と別個の発明と評価するに足りる技術内容を持つ発明ということはできず、引出線の記載の有無をもって、両発明の実質的な差異ということはできない。

(3)  原発明の特許請求の範囲には、回路素子につき、「該薄板に形成され、上記一主面で終るP―N接合により画成された少なくとも一つの領域を含む少なくとも一つの受動回路素子」、「該受動回路素子から離間されて上記薄板に形成され、上記一主面で終るP―N接合により画成された少なくとも一つの領域を含む少なくとも一つの能動回路素子」と記載されているのに対し、本件発明の特許請求の範囲には、「(a) 上記の複数の回路素子は、上記薄板の種々の区域に互に距離的に離間して形成されており」、「(b) 上記の複数の回路素子は、上記薄板の上記主要な表面に終る接合により画定されている薄い領域をそれぞれ少くともひとつ含み」と記載されている。

この点につき、控訴人は、原発明においては、半導体薄板の主要な表面のみならず裏面に回路素子を形成することも差し支えないから、原発明は単一の半導体薄板の主要な表面上に電子回路が形成されることを要件としていないのに対し、本件発明において、複数の回路素子はすべて単一の半導体薄板の主要な表面上に形成されるものであると主張する。しかし、仮に控訴人の解釈を正当としても、原発明の「少なくとも一つの受動回路素子」及び「少なくとも一つの能動回路素子」は、いずれも、「上記一主面で終るP―N接合により画成された少なくとも一つの領域を含む」ものであり、「能動回路素子」は、「受動回路素子から離間されて上記薄板に形成され」るものであるから、すべての回路素子が「上記薄板の上記主要な表面に終る接合により画定されている薄い領域をそれぞれ少くともひとつ含(む)」場合を排除するものではなく、これを包含するものといわなければならない。したがって、本件発明は、この点については、原発明に含まれる実施形態にすぎないことは明らかであり、これを両者の差異ということはできない。

(4)  原発明の特許請求の範囲には、回路素子の「離間」につき、能動回路素子が「受動回路素子との間に必要な絶縁を与えるように、該受動回路素子から離間されて・・・形成され」と記載されているのに対し、本件発明の特許請求の範囲には、「複数の回路素子は、・・・互に距離的に離間して形成されており」と記載されている。

この点は、後述する。

(5)  原発明の特許請求の範囲には、絶縁物質及び電気導体につき、「上記一主面を実質上全部被覆し接触部のみを露出するように上記領域の少なくとも二つに対応して設けられた孔を有するシリコンの酸化物よりなる絶縁物質」、「該絶縁物質に密接し上記少なくとも二つの領域間に延び上記孔を通して上記領域を電気的に接続する電気導体」と記載されているのに対し、本件発明の特許請求の範囲には、「(c) 不活性絶縁物質とその上に被着された複数の回路接続用導電物質とが、上記薄い領域の形成されている上記主要な表面の上に形成されており」、「(d) 上記互に距離的に離間した複数の回路素子中の選ばれた薄い領域が、上記不活性絶縁物質上の複数の上記回路接続用導電物質によつて電気的に接続され、上記電子回路を達成する為に上記複数の回路素子の間に必要なる電気回路接続がなされており」と記載されている。

すなわち、両発明とも、絶縁物質は、主要な表面上に形成されており、これを被覆するものであり、この絶縁物質の上に密接された電気導体もしくは被着された導電物質により、回路素子の薄い領域を電気的に接続する構成であるから、両発明において、回路素子の電気的な接続を要する接合により画定された領域を覆っている絶縁物質には、接触部のみが露出するように被覆が欠如している箇所すなわち孔が存在しなければならないのは当然であり、現に、本件明細書には、「本発明の実施例によれば酸化シリコンの如き絶縁不活性物質が電気接続が行なわれる点を除いて完全に薄板を被覆するか或いは電気的に接続されるべき点に接合する選ばれた部分のみを被覆するかするためにマスクを通して半導体回路薄板に蒸着される。」(甲第二号証4欄二六行から三一行)と記載され、絶縁物質による薄板の被覆は電気的接続を行うために必要な箇所において被覆を欠如させなければならないことを説明している。本件発明の特許請求の範囲には、原発明の特許請求の範囲に記載されている「接触部のみを露出するように上記領域の少なくとも二つに対応して設けられた孔を有する」旨の記載はないが、これは、当然かつ自明の技術事項として記載されなかったものと認められ、この点をもって両発明に差異があるものということはできない。

また、原発明の特許請求の範囲には、絶縁物質が「シリコンの酸化物よりなる絶縁物質」と規定されているのに対し、本件発明の特許請求の範囲には、絶縁物質が「不活性絶縁物質」と記載され、それが「シリコンの酸化物」であることは規定されていない。

しかし、原々出願及び原出願の優先権主張の基礎となった米国特許出願第七九一六〇二号(米国特許第三一三八七四三号)明細書(甲第六号証の二の2)には、この絶縁物質につき、「酸化シリコンのごとき絶縁不活性材料をマスクを通して半導体回路薄板上に蒸着することにより薄板を電気的接続が必要な部分を除いて完全に被覆するか電気的接続箇所をつなぐ部分のみを選択的に被覆する」(同被控訴人訳文五頁右欄一四行から一八行、控訴人訳文・乙第三四号証一〇頁一七行から二一行)と記載され、これとほぼ同文の記載が、原々出願の出願当初の明細書(以下「原々出願当初明細書」という。甲第三号証の四、二一頁二行から七行)、同出願の公告時の明細書(公告公報・同号証の二、四頁左欄二〇行から二四行)、同出願の最終的な補正後の明細書(以下「原々出願補正明細書」という。同号証の一、10欄一四行から一九行)及び原出願当初明細書(甲第三号証の五の2、二一頁二行から七行)に存在し、これらの記載から明らかなように、「酸化シリコン」は、不活性絶縁物質の一つの例示としてしか示されておらず、これを他の不活性絶縁物質と区別して取り扱うべき技術的理由は何ら記載されていない。

そして、鈴木邦三作成の報告書及びその添付資料1、2(乙第七号証)によれば、右優先権主張の基礎となった米国特許出願より前の一九五七年六月一八日に発行された米国特許第二七九六五六二号明細書(同添付資料1)には、半導体表面に被着される絶縁物質につき、「前に述べた通り、ブロック11の表面において露出されたこれらの接合箇所35は、これらの重要な領域において、物理的条件を安定にするという保護が与えられなければならない。フィルム17がそのような保護を与える。このフィルム材料の選択において注意しなければならない条件は、(1) この材料は、接合または雰囲気のいずれかに化学的に反応するようであってはならない、(2) この材料は、高抵抗材料でなければならない、(3) 高い絶縁強度を持たなければならない(一〇〇KV/cmのオーダー)、(4) この材料は、その材料が濃縮されておかれる表面に対し、接着するようなフィルムを形成しなければならない、(5) このフィルム材料は、摂氏九五〇度あるいは、それ以上のオーダーの融点を持たなければならない、(6) この装置の製造における後工程においてみられる高温下で粒状になってはならない、更に、(7) このフィルムは、高い体湿性を持たなければならない。・・・この保護フィルムが接合が形成されたところを除いて半導体の全面を覆うように位置しているので、ひとつまたは複数の接合は、湿気あるいはそれに類似したものから適切に保護され、この装置の表面における条件は、安定化される。」(同訳文二頁三七行から三頁一四行)と記載され、不活性絶縁物質の備えるべき条件及びその効果を述べ、この保護材料として、「例えば一酸化シリコン、二酸化シリコンまたは弗化マグネシウムのようなものが・・・真空蒸着され」(同二頁六行から七行)ることが開示されていることが認められ、これによれば、優先権主張の基礎になった前示米国特許明細書の記載は、この米国特許第二七九六五六二号明細書に開示されている技術を取り入れたものであり、原々出願の前掲各明細書及び原出願当初明細書の記載もこれを忠実に踏襲したものと認められる。

以上の事実によれば、原発明の特許請求の範囲の「シリコンの酸化物よりなる絶縁物質」との記載は、不活性絶縁物質の代表的なものとしてシリコン酸化物を挙げたものにすぎず、これが限定的な意味を持つものと解することはできない。

一方、本件発明においても、不活性絶縁物質として「酸化シリコン」すなわち「シリコンの酸化物」を用いるものであることは、本件明細書の本件発明の唯一の実施例を説明した箇所に、「酸化シリコンの如き絶縁不活性物質が電気接続が行なわれる点を除いて完全に薄板を被覆するか或いは電気的に接続されるべき点に接合する選ばれた部分のみを被覆するかするためにマスクを通して半導体回路薄板に蒸着される。」(甲第二号証4欄二七行から三一行)として、優先権主張の基礎になった前示米国特許明細書、原々出願の前掲各明細書及び原出願当初明細書の前示引用箇所と同一の記載があり、また、「シリコン酸化物絶縁体は安定で大巾の温度範囲にわたり装置の特性を破壊しないから、その使用がベース及びエミツタの接続がなされる温度範囲に融通性を与えることが明白であろう。」(同5欄一五行から一八行)として、不活性絶縁物質として「酸化シリコン」を用いること及びその効果の記載がある以外に、他の不活性絶縁物質の例示が全くないことが示すように、不活性絶縁物質として酸化シリコンを念頭においたものにすぎないと認められる。

このことからすると、「酸化シリコン」を、その特許請求の範囲において明示せず、「不活性絶縁物質」と抽象的に記載したとしても、その技術内容において、本件発明は原発明と実質的な差異があるとすることはできない。また、右事実によれば、少なくとも、本件発明は、「酸化シリコン」を用いる範囲で原発明と重複することが明らかである。

(6)  本件発明の特許請求の範囲には、「(e) 上記電子回路が、上記複数の回路素子及び上記不活性絶縁物質上の上記回路接続用導電物質によつて本質的に平面状に配置されている」との要件が記載されているのに対し、原発明の特許請求の範囲には、この記載がない。

この点については、後述する。

2  原発明と本件発明の同一性の有無

以上によれば、原発明と本件発明とは、要件(a)中の回路素子の「離間」の点と要件(e)の「平面状配置」の点を除き、実質的に一致ないし重複するものというべきである。

そこで、以下、この二点について検討する。

(一)  回路素子の「離間」の点について

前示のとおり、原発明の特許請求の範囲には、回路素子の「離間」につき、能動回路素子が「受動回路素子との間に必要な絶縁を与えるように、該受動回路素子から離間されて・・・形成され」と記載されているのに対し、本件発明の特許請求の範囲には、「複数の回路素子は、・・・互に距離的に離間して形成されており」と記載されている。

(1)  原発明の特許請求の範囲に記載されている「必要な絶縁を与えるように、」と「離間されて」の技術的意義を理解するために、まず、原出願当初明細書(甲第三号証の五の2)を検討すると、同明細書中において、右の「絶縁」に関して、まず、総括的な説明として次の記載がある。

「本発明に於いて重要なることは成形の思想である。この成形の着想は回路に於いて各成分間の必要なる絶縁を得て成分を決定する事が可能である。・・・成形は与えられた回路に於いて幾多の異つた方法の1つ或いはそれ以上で完成される。これらの色々な方法は半導体物質の部分の実際的な除去を含みL型、U型等の長い狭い半導体物質の形状と、電流流通のための低抵抗性流路を設けるため不純物の拡散に依る真の半導体物質の選択的転換と、或る導電性の半導体物質を逆の導電性へ選択的に変換しそれに依り形成されたp-n接合が電流の障壁として働く事に依り特徴づけられている。」(同六頁一行から一六行)

「本発明の目的は各成分の間に必要なる絶縁を得且つ上記成分により利用される区域を決定するべく半導体物質の薄板を適当に成形する事に依り所望の回路を作製することである。」(同七頁一二行から一五行)

次いで、第6a図、第6b図及び第7図に示された実施例であるバイブレーター回路に関して、次のように説明されている。

「特にこのエツチングはR1とR2と回路の他の部分との絶縁を行うため薄板を通してのスロツトを形成する。そして又予め計算された形状に対する全部の抵抗の領域を形成する。・・・

上述した様に第6a図に示した実施例は薄板の中或いは上に含まれる回路要素間に所要の絶縁を施すため機械的加工を利用して組立られたが、該絶縁が或る導電型の半導体物質をその逆導電型物質に選択的に転換して形成されたp-n接合障壁に依り得られる様に電気的加工を利用して組立ててもよい。

第6a図に於いて絶縁体を形成するに薄板を通してスロツトをエツチングする代りにこの電気的加工を第6a図に就いて説明すると薄板にn型導電性を生ずる成分を導入することに依りスロツトに依り画定されたところに薄板を通してn型導電領域を形成するのである。これはマスキング及拡散に依り遂行される。本体に於けるp型導電領域と隣接するスロツトに依り画定された場所のn型導電体の拡散領域は変換導電型の領域を形成しその結果のp-n接合は長さ方向の少くとも主部分の相互から又回路の残余部分からR1、R2を絶縁する。

更に、この絶縁体は必要なる絶縁を設けるため真性半導体物質であつてもよい。」(同一九頁二行から二〇頁一〇行)

原出願当初明細書には、右の「絶縁」について、これ以外の特段の記載はないから、同明細書には、回路素子間に「必要なる絶縁を与えるように」する手段としては、エッチングによる機械的加工手段を利用したスロットの形成と、マスキング及び拡散による電気的加工手段を利用したp-n接合障壁の形成しか開示されていないと認められる。

(2)  一方、「離間」については、第1図、第1a図に図示されている同発明の実施により半導体薄板に形成される抵抗につき、次のように記載されている。

「第1図を参照すれば単一結晶半導体物質の本体内に組込まれるかも知れない抵抗の典型的な設計を示してある。

第1図に示す如く、この設計はn型かp型かの導電型を半導体物質の本体(10)の大部分の抵抗を利用することを企図している。接点(11)及び(12)は本体(10)の1面にオーミツクに作られ所望の抵抗をもつに充分な距離だけ離間してある。・・・この抵抗はR=ρL/Aなる式から算出することが出来る。ここでLは糎で表はした作用長さ、Aは断面積、ρは半導体物質の比抵抗を単位オームセンチメートルで表わしたものである。

第1図に示す抵抗に付加して抵抗が第1a図に示す如く組込まれそして半導体物質の本体の1部を形成する様に設けてある。・・・接点(11)aと(12)aは領域(10)bの1面に作られ所望の抵抗を成立させるために相互に離している。・・・第1a図の抵抗は別々の回路素子或いは成分として形成される。」(同九頁一〇行から一二頁四行)

この記載が、同明細書に受動回路素子として分類されている抵抗(同一六頁二〇行から二一行)についての記載であることは明らかであり、ここで用いられている「離間」ないし「相互に離している」とは、半導体物質の本体の持つ抵抗(バルク抵抗)を利用して所望の抵抗値を有する抵抗素子を半導体薄板内に形成するために所定の長さを確保するための離間であることは明白である。

そして、同明細書には、この他に、「離間」についての記載はないから、原出願当初明細書には、受動回路素子と能動回路素子の離間について特段の説明はなく、回路素子間の離間がバルク抵抗による絶縁を与える手段であることを示す記載はないといわなければならない。

(3)  以上のとおり、原出願当初明細書には、回路素子間の絶縁についてスロットの形成とp-n接合障壁の形成によることを開示しているが、回路素子の離間について特段の記載はしていない。しかし、電子回路において、回路素子が正常に機能するためには、回路素子間が不要な電気的結合により影響を受けてはならないことは当然のことであるから、このための絶縁を得るための適宜の手段が採用できるように、回路素子が物理的に離間されているべきであり、同明細書の前示記載は、このことを当然の前提として、なされているものというべきである。

原出願当初明細書の記載は後に補正され、その特許請求の範囲の記載が前示原発明の特許請求の範囲のとおりに補正され、その発明の詳細なる説明中に、「能動回路素子と受動回路素子との間はそれぞれの機能が互いに影響されない様離間され必要な絶縁がなされているので、これら回路素子間の電気接続が自由に選択出来、」との記載がなされたことは、前掲東京高裁昭和五五年(行ケ)第五四号審決取消訴訟の昭和五九年四月二六日判決(甲第四号証)から認められる。

そして、同判決は、原出願補正明細書に基づき、原発明の前示「必要な絶縁」と「離間されて」の技術的意義につき、次のように認定している。

「本願発明(注、原発明)にいう『必要な絶縁』とは、『不要な電気的結合によつてそれぞれの素子の機能が互いに影響を受けないようにするために必要な絶縁』の意味であつて、回路構成上必要な半導体薄板内部の接続によつて、それぞれの素子の機能が所定のとおりに影響し合うことを妨げるものではなく、実施例において、スロツトにより抵抗・容量素子R8C1とトランジスタT2 との間に抵抗(素子)R5 ないしR7 (及びR1、R2、R3C2、R4 )以外には半導体薄板内部における接続が存在しない状態がこれに該当するものであり、そして同じく『離間』とは距離的すなわち物理的に離れていることを意味する点では原告(注、本件の控訴人)主張のとおりであるけれども、実施例においては、抵抗(素子)R5 ないしR7 の介在それ自体ではなく、これら抵抗に連接する部分以外は両素子がスロツトという空間によつて隔離されている状態がこれに該当するものと解するのが相当である。」(同三九丁表一行から裏五行)

すなわち、同判決は、「必要な絶縁」とは、各回路素子の機能が互いに影響を受けないようにするためのものであり、この絶縁のために、実施例ではスロットの形成という手段を採用していること、回路素子の「離間」とは、回路素子が距離的すなわち物理的に離れていることをいうとしており、原出願当初明細書に基づいてした前示考察と同じ認定を原出願補正明細書に基づいてしているのである。

(4)  そして、本件明細書の「絶縁」に関する記載、すなわち、「特にこのエツチング(原文の「エンチング」は「エツチング」の誤記と認める。)は、R1とR2と回路の他の部分との間に分離を与えるための薄板を通してのスロツトを形成し、又予め計算された形状に全部の抵抗の領域を形成する。」(甲第二号証4欄九行から一三行)は、原出願当初明細書の前示引用の冒頭部分の記載(甲第三号証の五の2、一九頁二行から六行)の記載と同文であり、また、「離間」に関する「本発明の実施例によれば複数の回路素子、T1 、T2 、C1R8及びC2R3は相互に距離的に離間され」(甲第二号証5欄九行から一一行)の記載は、右高裁判決の認定中の、抵抗・容量素子R8C1とトランジスタT2 の「両素子がスロツトという空間によつて隔離されている状態」が「距離的すなわち物理的に離れていること」の意義を有する「離間」に該当するとの認定に対応することは明らかであるから、本件発明にいう「距離的に離間」は、原発明における「離間」とその技術的意義を同一にし、回路素子が正常に機能するためには、回路素子間の不要な電気的結合を排除する必要があり、このための絶縁を得るために適宜の手段が採用できるように、回路素子が物理的に離れていることをいうと解すべきである。

したがって、原発明と本件発明における各特許請求の範囲の記載に差異はあるが、その技術的意義は同一であり、両発明は、この点において差異はない。

(二)  要件(e)の「平面状配置」の点について

控訴人は、原発明は、本件発明の特徴である要件(e)の「平面状配置」の構成を欠いており、この点においても、本件発明と異なると主張する。

(1)  この要件(e)に関する本件明細書の記載をみると、次のとおりである。

「本発明は、主要な表面と裏面とを有する単一の半導体薄板に、本質的に平面状に配置された複数の回路素子と、この薄板の外部に接続が必要とされる回路素子に対し電気的に接続された複数の引出線とを有する電子回路用の半導体装置に関するものである。

本発明のある目的及び効果は、次のとおりである。即ち、回路素子が半導体薄板の一面上の不活性絶縁物質上に置かれた複数の導線により容易に相互接続し得るように、半導体薄板の一面上に、上記表面上で相互に距離的に離間された関係に形成された回路素子を有する一体化回路にして、これにより、上記回路素子とそれらの相互接続とを単一の構造になし、コンパクトで機械的電気的に安定な装置で、かつ高度の複雑さの回路の多様性を可能ならしめたものである。

本発明に用いられる回路素子はN型もしくはP型いづれか一つの型に導電型を示す単一半導体物質の本体を使用して適当な導電型の拡散領域を形成しその拡散領域と半導体との間或は拡散領域自体間にP―N接合を形成することにより達成される。本発明の原理に依れば全電子回路の成分は以降に詳細に説明される技術の適用に依り特徴づけられる様に本体に組立てられる。回路の成分が半導体物質の本体の中に組合され且つその1部を形成している事は注意さるべき事である。

本発明に依れば電子回路の能動及受動成分或いは回路素子は半導体の薄板の一面或いはその近くに形成される。

その結果、得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる。処理工程中に半導体材料薄板の成形(原文の「全形」は、「成形」の誤記と認める。)を行ない、拡散により希望の各種回路素子を適当な関係で製造することが可能である。」(甲第二号証1欄六行から2欄一二行)

「本発明の効果は製造製作上満足なものであり且つマスキング・エツチング及拡散の様な限定された両立性ある工程が一主面から成し得るので大量生産に適する事であり、更に能動及受動回路素子の電気的接続の態様が融通性に富み従つて回路が多種多様(原文の「多様多様」は「多種多様」の誤記と認める。)に出来ると云う点にある。」(同2欄一三行から一八行)

「また、複数の回路素子は前述した様に半導体薄板の一主面上に平板状に配置され、マスキング、エツチング及び拡散の様な両立性ある工程が一主面から成し得るので半導体装置の大量生産に適している。更に複数の回路素子の接続が絶縁物質上で行なうことができるので回路に融通性、多様性があると共に大量生産に適している。

この方法で為され得る回路の組立ての複雑さには限界がない。」(同5欄二四行から三二行)

(2)  本件明細書に右の記載がされた経緯をみると、原々出願補正明細書(甲第三号証の一)には、次の記載がある。

「過去になされた小型化に対して本発明は小型化に対する新規にして全く異つた概念から生じた。既知の技術の示唆を全く離れて小型化が少ない物質と、可能な操作を使用して得られる事が本発明に依り提起されたのである。本発明の原理に依れば回路小型化の終局は全回路素子にただ1つの物質を使用し且つそれの製作にむ盾のない或る限度の工程を用いて達成された。

本発明によれば、上記はN型もしくはP型いづれか一つの型の導電型を示す単一半導体物質の本体を使用して適当な導電型の拡散領域を形成しその拡散領域と半導体との間或は拡散領域自体間にP―N接合を形成することにより達成される。本発明の原理に依れば全電子回路の成分は以降に詳細に説明される技術の適用に依り特徴づけられる様に本体に組立てられてもよい。回路の成分が半導体物質の本体の中に組合され且つその1部を形成している事は注意さるべき事である。

本発明に依れば電子回路の能動及受動成分或いは回路素子は半導体の薄板の一面或いはその近くに形成される。本発明に於て重要なることは成形の思想である。この成形の着想は回路に於て各素子間の必要なる絶縁を得、且つ素子を画定することを可能ならしめる。或いは換言すれば与えられた成分に利用される区域を決定することが可能である。・・・

いずれにしても成形の効果は、電流流路を定めるか、電流流路を制限するかして、単一の半導体材料薄板においては従来得られなかつた回路の製造を可能にすることである。その結果、得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる。処理工程中に半導体材料薄板の成形を行ない、拡散により希望の各種回路素子を適当な関係で製造することが可能である。」(同3欄三一行から4欄二九行)

「本発明の効果は製造製作上満足なものであり且つマスキング(原文の「マスタキング」は「マスキング」の誤記と認める。)・エツチング及拡散の様な限定された両立性ある工程が一主面から成し得るので大量生産に適する事であり、更に能動及受動回路素子の電気的接続の態様が融通性に富み従つて回路が多種多様に出来ると云う点にある。」(同4欄三〇行から三五行)

「上述された2つの実施例は本発明の技術に依り組立てられ得る数えられない程の回路の2つのみである。この方法で為され得る回路の組立ての複雑さには限界がない。」(同10欄三六行から三九行)

この記載は、原々出願当初明細書(甲第三号証の四、四頁一八行から六頁二〇行、二二頁三行から六行)、同出願の公告時の明細書(同号証の二、一頁右欄三三行から二頁左欄二〇行、四頁右欄八行から一〇行)の記載を、表現を一部改めたことを除き、同一の内容のものとして継承したものである。

(3)  本件明細書と原々出願の右各明細書の各記載を対比すれば、同一の技術内容を説明していることが明白である。すなわち、原々出願補正明細書の右表現によれば、「N型もしくはP型いづれか一つの型の導電型を示す単一半導体物質の本体を使用して適当な導電型の拡散領域を形成しその拡散領域と半導体との間或は拡散領域自体間にP―N接合を形成すること」、「本発明の原理に依れば全電子回路の成分は以降に詳細に説明される技術の適用に依り特徴づけられる様に本体に組立て」られること、「回路の成分が半導体物質の本体の中に組合され且つその1部を形成している」こと、「本発明に依れば電子回路の能動及受動成分或いは回路素子は半導体の薄板の一面或いはその近くに形成される」ことが、発明の本質であり、「その結果、得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる」のであり、これにより、「両立性ある工程が一主面から成し得るので大量生産に適する事であり、更に能動及受動回路素子の電気的接続の態様が融通性に富み従つて回路が多種多様に出来る」という効果を生ずるのであって、この点において、両者に差異はない。

なお、原々出願補正明細書の特許請求の範囲には、本件発明の特許請求の範囲に記載されている要件(c)の不活性絶縁物質と回路接続用導電物質に関する構成と要件(d)の電気回路接続に関する構成が記載されていない。しかし、同明細書には、これにつき、「金の線70はそれから接続と与えられた最終のエツチングを完全にするため適当な領域に熱的に接合される。金の線70を用いる代りに接続は何か他の方法で行なわれてもよい。例えば酸化シリコンの如き絶縁不活性物質が電気接続が行なわれる点を除いて完全に薄板を被覆するか或いは電気的に接続されるべき点に接合する選ばれた部分のみを被覆するかするためにマスクを通して半導体回路薄板に蒸着されるかも知れない。金の様な導電物質はそれから必要なる電気回路接続を行なうために絶縁物質に被着してもよい。」(甲第三号証の一、10欄一一行から二一行)として、本件明細書のこれに関する記載(甲第二号証4欄二三行から三三行)とほぼ同文の記載がある。すなわち、本件発明のように、半導体薄板の表面上に不活性絶縁物質と回路接続用導電物質を有し、これにより回路素子の間に必要な電気回路接続する構成は、原々出願補正明細書に開示されており、この様な構成を含めて、「得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる」としていることが明らかである。

このことは、原々出願補正明細書の第6a図、第6b図が本件明細書の第1図、第2図と同一の図面であり、この図面に表示されている両発明の実施例であるマルチバイブレーター回路が同一であることからも裏付けられる。すなわち、このマルチバイブレーター回路は、「本質的に平面状に配置され」ているのである。

そして、原々出願補正明細書の「平面状配置」に関する右記載及び絶縁物質と導電物質による電気回路接続に関する右記載は、原々出願、原出願及び本件出願の優先権主張の基礎となった米国特許出願第七九一六〇二号(米国特許第三一三八七四三号)明細書(甲第六号証の二の2)の各該当箇所の記載(被控訴人の訳文二頁左欄三八行から右欄三〇行、五頁右欄三六行から三九行、同右欄一一行から二一行、控訴人の訳文・乙第三四号証二頁一九行から三頁二二行、一一頁六行から九行、一〇頁一五行から二二行)をほぼ忠実に訳したものと認められ、その技術内容は同一であり、また、その第1図、第1a図、第2図、第2a図、第3図から第5図、第6a図、第6b図、第7図、第8a図、第8b図、第8c図からなる図面も、両者同一であると認められる。

さらに、原出願当初明細書(甲第三号証の五の2)には、右原々出願補正明細書の前示記載を受け継いで、これとその技術内容を同じくするほぼ同文の記載(同四頁一九行から六頁二一行、二二頁一三行から一六行、二〇頁一八行から二一頁一六行)があり、その図面も、第9図、第10図が付加されている以外は、同一の図面であることが認められる。

以上の事実によれば、優先権主張の基礎となった右米国特許出願明細書に始まり、原々出願当初明細書から原出願当初明細書を経て、本件明細書に至るまで、そこに開示されている発明は、本件発明の要件(e)のとおり、「上記電子回路が、上記複数の回路素子及び上記不活性絶縁物質上の上記回路接続用導電物質によつて本質的に平面状に配置されている」のであり、その技術内容を同一にするものといわなければならない。

(4)  これを本件発明の特許請求の範囲の記載に即してみれば、本件発明の要件(e)の「平面状配置」は、それに先立って記載されている各要件から構成された半導体装置の回路が、その結果として、「本質的に平面状に配置され」ることになることを総括して表現したにすぎない記載であり、特段の技術的意義を有しないものと評価するほかはない。これを覆すに足りる資料は本件全証拠によっても見出すことはできない。

そして、「平面状配置」についての右考察に基づけば、前示のとおり、原発明の各要件が本件発明の要件(e)を除く各要件と実質的に同一もしくは重複するものであるから、原発明もまた、本件発明の要件(e)に示す「上記電子回路が、上記複数の回路素子及び上記不活性絶縁物質上の上記回路接続用導電物質によつて本質的に平面状に配置されている」構成を備えているものと認めるほかはない。このことは、原出願当初明細書の第6a図、第6b図と同一の図面すなわち本件明細書における第1図、第2図が、原出願補正明細書の第1図、第2図として示され(甲第四号証判決添付別紙一)、これに示されているマルチバイブレーター回路が原発明及び本件発明の実施例として記載されていることにより裏付けられる。

なお、原出願補正明細書では、原出願当初明細書が補正され、その発明の詳細な説明の項の記載から平面状配置に関する記載が削除されていることが弁論の全趣旨からうかがえるが、この記載の削除により、原発明の実質が、その出願当初明細書に開示された発明と「平面状配置」の点で異なるものとなったといえないことは、右の説示から明らかである。

(5)  控訴人は、本件発明において、複数の回路素子はすべて単一の半導体薄板の主要な表面上に形成され、この主要な表面上に形成された複数の回路素子と複数の回路接続用導電物質によって、平面状に、すなわち、二次元的な拡がりをもって、電子回路が形成されている点に特徴を有するのに対し、原発明においては、半導体薄板の主要な表面と裏面にも回路素子が形成され、これらを接続して表面と裏面にわたって電子回路が形成されても差し支えなく、したがって、原発明を実施した半導体装置における電子回路は単一の半導体薄板の主要な表面上に電子回路が形成されることを要せず、列状ないし線状の配置が許容されているから、本件発明にいう平面状の配置ではないと主張する。

控訴人のこの主張は、原発明の特許請求の範囲に記載された回路素子の前示要件、すなわち、「該薄板に形成され、上記一主面で終るP―N接合により画成された少なくとも一つの領域を含む少なくとも一つの受動回路素子」、「該受動回路素子から離間されて上記薄板に形成され、上記一主面で終るP―N接合により画成された少なくとも一つの領域を含む少なくとも一つの能動回路素子」との要件は、本件発明の要件(b)とは異なり、半導体薄板に形成される回路素子のすべてが「主要な表面に終る接合により画定されている薄い領域をそれぞれ少くともひとつ含(む)」ことを規定していないから、この構成を備える受動回路素子及び能動回路素子がそれぞれ一つあれば足り、他の回路素子は裏面に形成されてもよいと解することに基づくものと理解できる。しかし、原発明の右回路素子の要件の記載と、原々出願補正明細書(甲第三号証の一)の特許請求の範囲に記載された回路素子の要件の記載、すなわち、「II 該薄板の1つの主面に隣接し且つ該面まで延びる薄い領域を含み、該領域は上記1つの主面と他の主面との間の薄板内に形成されている能動回路素子にして、上記領域の各々は上記主面において終る接合によつて分離されている少くとも1つの能動回路素子」、「III  上記薄板の中で且つ上記主面に隣接した受動回路素子にして、上記能動回路素子から離間し上記薄板を構成要素とする少くとも1つの受動回路素子」とを対比すれば明らかなように、控訴人の解釈に従うと、原々出願に係る発明も、原発明と同じく、複数の回路素子のすべてが主要な表面に形成されることを要件としていないから、列状ないし線状の配置を許容するもの、すなわち、平面状配置ではないといわなければならないことになる。ところが、前示のように、原々出願補正明細書には、「得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる」と明示されているのであって、控訴人主張の帰結とは明らかに異なるのである。控訴人の主張は採用できない。

また、本件発明の出願過程においてされた各特許異議の手続においては、分割出願の適法性も争われ、これにつき、各特許異議の決定(乙第一、第二、第四号証)は、原発明は本件発明の要件(e)を備えていないから実質的に同一ではないと判断していることが認められる。しかし、その判断の理由は、単に、原発明の特許請求の範囲に本件発明の要件(e)の記載がないということのみであり、要件(e)の持つ技術的意義を解明してなされたものとは認められず、しかも、この判断はいまだ司法審査を経ていないものである。これをもって、控訴人の主張を根拠づけるに足りる資料とすることはできない。

(三)  以上の考察によれば、本件発明は原発明と実質的に同一と認められ、これに反する控訴人の主張は採用できない。

なお、付言するに、原発明の特許請求の範囲に記載されていない前示「引出線」の構成が本件発明の特許請求の範囲には記載されている点及び原発明の絶縁物質が「シリコンの酸化物よりなる絶縁物質」とされているのに対し、本件発明では「不活性絶縁物質」とされていて、シリコンの酸化物以外の不活性絶縁物質をも絶縁物質として文言上では包含するように記載されている点が、原発明と本件発明の構成上の実質的同一性を妨げる技術的意義を有しないことは前示のとおりであるが、これを両発明の構成の差異とみても、本件発明は、原発明とその技術的思想を同じくし、そのすべての構成を充足するものであり、右の差異自体は、これがあることによって別個の発明を成立させるに足りるほどの特段の技術的意義を有しないものであることは前示説示から明らかであるから、いずれにしても、本件発明が原発明とは発明として別個のものであると評価することはできない。

3  分割出願不適法の効果

以上のとおり、本件発明は原発明と実質的に同一であり、原発明と別個の発明ということはできない。

そして、本件発明に係る分割出願(本件分割出願)に適用される旧特許法(大正一〇年法律第九六号)第九条第一項は、「二以上ノ発明ヲ包含スル特許出願ヲ二以上ノ出願ト為シタルトキハ各出願ハ最初出願ノ時ニ於テ之ヲ為シタルモノト看做ス」と規定し、この規定の趣旨は、分割された出願に係る発明につき、原出願の願書に添付した当初の明細書に、右発明の要旨とする技術事項のすべてが、その発明の属する技術分野における通常の技術的知識を有する者においてこれを正確に理解し、かつ、容易に実施することができる程度に記載されている場合には、適法な分割出願と認める(最高裁判所(三小)昭和四九年(行ツ)第二号、昭和五三年三月二八日判決参照)というにあると解されるが、分割出願に係る最終的な補正後の明細書の特許請求の範囲に記載された発明が原出願の最終的な補正後の明細書の特許請求の範囲に記載された発明と実質的に同一の場合には、いわゆる二重特許を許さない法の趣旨からして、このような分割出願は不適法というべきである。

そして、右第九条第一項の規定は、適法な分割出願につきいわゆる出願日の遡及を認めたものであるから、不適法な分割出願が出願日遡及の利益を享受できないことは明らかである。

これを本件についてみれば、本件発明(分割出願に係る最終的な補正後の明細書の特許請求の範囲に記載された発明)は、原発明(原出願の最終的な補正後の明細書の特許請求の範囲に記載された発明)と実質的に同一といわなければならないことは前示のとおりであるから、本件分割出願は不適法であって、出願日遡及の利益を享受することができない。

したがって、本件分割出願は、その実際の出願日である昭和四六年一二月二一日に出願されたものとして、当時施行されていた特許法(昭和三四年法律第一二一号)の適用を受けることになり、同法第六七条第一項(平成六年法律第一一六号による改正前のもの)ただし書の規定により、本件特許権の存続期間は、「特許出願の日から二十年をこえることができない」ものであるといわなければならず、そうすると、平成三年一二月二一日の経過により、その二〇年の存続期間は満了し、本件特許権は消滅に帰したものである。

すなわち、同年同月二二日以降については、本件特許権に基づく損害賠償請求権が発生する根拠はないから、イ号物件、ロ号物件が本件発明の技術的範囲に属するかどうかの後記の検討を待つまでもなく、イ号物件、ロ号物件の製造及び販売につき、同日以降の損害賠償請求権が発生する由はなく、損害賠償請求権の不存在の確認を求める被控訴人の本訴請求のうち、同日以降の分については、すでに理由があり正当として認容すべきものである。

また、本件発明が原発明と実質的に同一の発明であって、本件発明に係る出願(本件出願)が分割出願として不適法である以上、本件出願は、原出願に遅れて、原発明と同一の発明につき特許出願したものとして、特許法第三九条第一項の規定により本来特許されるべきものではなかったものであるから、本件特許は無効とされる蓋然性がきわめて高いものといわなければならない。のみならず、原発明については、前示東京高裁昭和五五年(行ケ)第五四号審決取消訴訟の昭和五九年四月二六日判決(甲第四号証)の確定により、公知の発明から容易に推考される発明として拒絶査定が確定しているのであるから、原発明と実質的に同一である本件特許についても、この理由による無効事由が内在するものといわなければならず、このような無効とされる蓋然性がきわめて高い特許権に基づき第三者に対して権利を行使することは、権利の濫用として許されるべきことではない。この理由からすれば、被控訴人の本訴請求はすべて理由があり、認容すべきものである。

なお、被控訴人は、本件特許権の存続期間の満了による消滅及び権利濫用の抗弁をそれとして明示してはいないが、本件発明と原発明が実質的に同一であることを理由とする本件分割出願の不適法を主張し、本件特許が無効とされるべきことを述べている以上、これらの抗弁を基礎づける事実は弁論に上程されているものと認めて差し支えないというべきである。

三  技術的範囲属否の検討

1  構成要件(c)充足の有無

本件発明の要件(c)には、「不活性絶縁物質とその上に被着された複数の回路接続用導電物質とが、上記薄い領域の形成されている上記主要な表面の上に形成されており」と規定されている。

(一)  回路接続用導電物質の「被着」の意義

控訴人は、本件発明の「被着」とは、「回路接続用導電物質」が「不活性絶縁物質」上に接触して形成された状態を指すものであって、本件発明は、このような状態にするために、導電物質をCVD法によって形成するのかスパッタリングにより形成するのかは問わないと主張する。

これに対し、被控訴人は、本件発明の「被着」とは、「縫箔」ないしはこれに類似する状態である「置かれた」や「敷設される」などと同義で、金の線を半導体薄板の表面に絶縁物質に接するように這わせて置いた状態を意味し、マスク蒸着、CVDによる密着、スパッタリングによる密着は含まれないと主張する。

(1)  そこで、本件明細書(甲第二号証)をみると、回路接続用導電物質の「被着」に関する記載としては、次の記載がある。

「本発明のある目的及び効果は、次のとおりである。即ち、回路素子が半導体薄板の一面上の不活性絶縁物質上に置かれた複数の導線により容易に相互接続し得るように、半導体薄板の一面上に、上記表面上で相互に距離的に離間された関係に形成された回路素子を有する一体化回路にして、これにより、上記回路素子とそれらの相互接続とを単一の構造になし、コンパクトで機械的電気的に安定な装置で、かつ高度の複雑さの回路の多様性を可能ならしめたものである。」(同1欄一二行から二一行)

「本発明の原理を実施している一体化回路の特別な説明は第1図に示されているがここで金の線は半導体薄板の一主面上の絶縁不活性物質上に敷設される。」(同3欄九行から一二行)

「金の線70はそれから接続を完全にするため適当な領域に熱的に接合され、最終的な清浄化エツチングが施される。金の線70を用いる代りに接続は何か他の方法で行なわれてもよい。本発明の実施例によれば酸化シリコンの如き絶縁不活性物質が電気接続が行なわれる点を除いて完全に薄板を被覆するか或いは電気的に接続されるべき点に接合する選ばれた部分のみを被覆するかするためにマスクを通して半導体回路薄板に蒸着される。金の様な導電物質はそれから必要なる電気回路接続を行なうために絶縁物質に被着される。」(同4欄二三行から三三行)

右記載にみられるように、導電物質の「被着」については、発明の詳細な説明の中の本件発明を一般的に説明する箇所では、「置かれた」と記載され、第1図に示される唯一の実施例の説明においても、「敷設される」、「被着される」と異なった用語が用いられている。そして、同図には、メサ型トランジスタを用いたマルチバイブレーター回路において、複数の回路素子の間に必要な電気回路接続がなされるように、他の回路部品から絶縁されかつ互いに絶縁された複数の金の線が空中に張り渡された例が示されているだけである。

一方、不活性絶縁物質については、「マスクを通して半導体回路薄板に蒸着される」として、「蒸着」との語が用いられ、また、この「蒸着」との語は、「金がトランジスタT1 、T2 のベース接続53、54及び抵抗蓄電器C1R8、C2R3のコンタクト51、52の如き、n型区域とオーミツクな接触をなす領域51~54を設けるためにマスクを通して蒸着される。アルミニウムはn層と整流接触を形成するトランジスタのエミツタ領域56を備えるべく、適当な形状をしたマスクを通して蒸着される。」(同3欄三六行から四三行)のように、回路接続用導電物質の絶縁物質に対する被着を説明する以外の箇所では用いられているにもかかわらず、回路接続用導電物質の絶縁物質に対する被着を説明する語としては用いられていない。この記載からすると、本件明細書では、回路接続用導電物質の絶縁物質に対する被着とマスク蒸着とは区別されていると理解される。

(2)  この用語の用い方の差異の理由を検討するために、原々出願当初明細書(甲第三号証の四)をみると、次のように記載されている。

「金の線(70)はそれから接続と与えられた最終のエツチングを完全にするため適当な領域に熱的に接合される。金の線(70)を用いる代りに接続は何か他の方法で行なわれてもよい。例えば酸化シリコンの如き絶縁不活性物質が電気接続が行なわれる点を除いて完全に薄板を被覆するか或いは電気的に接続されるべき点に接合する選ばれた部分のみを被覆するかするためにマスクを通して半導体回路薄板に蒸散されるかも知れない。金の様な導電物質はそれから必要なる電気回路接続を行なうために絶縁物質に縫箔されるかも知れない。」(同二〇頁一九行から二一頁九行)

すなわち、本件明細書の「被着」が「縫箔」とされ、絶縁物質の「蒸着」が「蒸散」とされている以外は、本件明細書の記載と同文であることが認められる。この「縫箔」と「蒸散」の語は、原々出願補正明細書(甲第三号証の一)においては、本件明細書に用いられている「被着」と「蒸着」の語に訂正されている。そして、原々出願当初明細書及び原々出願補正明細書の図面は同一であり、そこには、実施例であるメサ型トランジスタを用いたマルチバイブレーター回路が本件明細書の第1図と同一の図面である第6a図として掲げられ、第8b図には、他の実施例であるメサ型トランジスタを用いた移相発振器が示されているが、この両図には、複数の回路素子の間に必要な電気回路接続がなされるように、他の回路部品から絶縁されかつ互いに絶縁された複数の金の線が張り渡された例が示されているのみであり、他の図面には、電気回路接続の態様は示されていない。

ところで、「縫箔」とは、「縫は刺繍(ししゅう)、箔は摺箔の意で、衣装の模様を縫と箔とで表したもの。」(広辞苑第四版第一刷)と説明されているが、この用語の示すところから、回路接続用導電物質が絶縁物質上に置かれた状態が技術的に明白であるとは必ずしもいうことができないと認められる。また、右図示されているのはメサ型トランジスタを用いた例であるから、金の線は絶縁のため必然的に他の回路部品から離れて張り渡される態様を取ることになると当業者には理解され、これによって、金の線に代わる何か他の方法において、金のような導電物質が絶縁物質に縫箔される意味が明らかにされているものとは認められない。

(3)  そこで、原々出願の優先権主張の基礎となった米国特許出願第七九一六〇二号(米国特許第三一三八七四三号)明細書(甲第六号証の二及び三の各2)をみると、原々出願当初明細書の記載は、同米国特許出願明細書のほぼ忠実な翻訳と認められ、その図面も同一であるから、原々出願当初明細書は、同米国特許出願明細書の技術内容をそのまま継承しているものと認められるところ、「縫箔」と訳された部分は、「金のような導電性材料を前記絶縁材料の上に置いて(laid down )必要な電気的接続を行ってもよい。」(同号証の二の2被控訴人訳文五頁右欄一九行から二一行、控訴人訳文・乙第三四号証一〇頁二一行から二二行では、「laid down 」を「被着」と訳している。)とされていることが認められ、これにつき、その技術的意義を明白にする記載はされていないことが認められる。

そして、この「laid down 」の意義については、米国においても、同米国特許出願明細書自体について、この用語が回路接続用導電物質が絶縁層の上に固着(adherent)していることを開示しているかどうかが、発明者すなわち本件発明の発明者であるジャック・セント・クレア・キルビー氏(以下「キルビー」という。)と、キルビーの同特許出願(以下「六〇二出願」という。)に遅れて一九五九年七月三〇日に出願され一九六一年四月二五日に成立した特許第二九八一八七七号の特許権者であるロバート・N・ノイス氏(以下「ノイス」という。)の間で、米国関税特許控訴裁判所において争われ(同裁判所一九六九年一一月六日判決謄本・甲第九号証、被控訴人の訳文は同号証添付、控訴人の訳文は乙第六号証)、結論として、キルビー自身が同人の著述(IEEE TRANSACTIONS ON ELECTRON DEVICES,VOL.ED-23,NO. 7,JULY 1976・乙第二二号証)において言及しているとおり、「同裁判所は、酸化膜に固着するように相互配線をする技術を最初に教示したのはNoyceであったと判定した」(同訳文一三頁一四行から一五行)のである。同判決は、上告却下により確定している(甲第九号証)。

この裁判における争点は、キルビーが右六〇二出願の後に、ノイスの右特許出願及び特許成立に遅れて、一九六二年一月二九日に一部継続出願としてした第一六九五五七号出願が、「金のような導電物質が絶縁物質上に『敷設』(laid down )されてもよいという六〇二出願の記載に加えて、『シリコン酸化物層上に密着した(adhering to )金のリボン』という開示を追加した」(右判決謄本両訳文九頁五行から八行)ことにつき、この追加された技術事項、すなわち、「半導体酸化物の絶縁層表面に『密着』しており(adherent to )半導体表面のP型領域とN型領域との接合を横切って電気接続を形成する導体というカウント1の要件(limitation)をキルビーの六〇二出願が支持しているか否である」(両訳文八頁一五行から九頁一行)という点にあった。

このカウント1の要件は、次のとおりである。

「一表面を有し、隣り合うP型及びN型の領域間にあって該表面にまで延在する一つの接合を含む一半導体本体と、

該接合の一部分の両側に密着し且つ該接合の一部分に隣り合う二つの近接したコンタクトと、

実質的に該半導体の酸化物からなり、該(半導体)表面上にあって該表面に密着し該接合の異なる部分を横切って延びる絶縁層と、

近接した両コンタクトの電気的接続を形成すべく、該絶縁層に密着し一つのコンタクトから該絶縁層上で該接合の異なる部分を横切って延びる導体による該コンタクトへの電気的接続と

を備えた半導体装置。」(両訳文三頁一行から一〇行、引用文は、被控訴人訳文)

これにつき、同判決は、「キルビーの出願に『敷設』(laid down )という文言があるというだけでは、出願中に支持があるというためにはクレイムされた特徴が内在的に(控訴人訳文では「本来的に」)開示されていることを要する(must be inherently disclosed)、という要件は到底みたされていないというべきである。また、キルビーは、一九五九年の六〇二出願の時点及びそれ以後において、電子ないし半導体業界で『敷設』(laid down )という語が密着(adherence )の概念を当然に含むものとして理解されているということを立証できなかった。」(被控訴人訳文一七頁一〇行から一七行、控訴人訳文同頁一〇行から一六行、引用文は被控訴人の訳文)として、キルビーの主張を認めず、カウント1がキルビーの六〇二出願に支持されていないと判断したのであり、同判決の理由の記載からみて、この判断は、事実に即した合理的な判断ということができる。

以上の事実によれば、絶縁物質と回路接続用導電物質及びこれによる電気的接続についてのカウント1に示されている具体的構成は、キルビーの六〇二出願には開示されていなかったものであり、その後にノイスの出願によって初めて開示され、ノイスの出願が特許されその特許明細書が公開された後、一九六二年一月二九日出願のキルビーの第一六九五五七号出願に取り入れられたものと認められる。

(4)  このカウント1の半導体装置に係る構成を、原発明及び本件発明の特許請求の範囲に記載された構成と対比すれば、両者における絶縁物質と回路接続用導電物質及びこれによる電気的接続に関する構成は、原発明における「密接し」及び本件発明における「被着された」との用語の意味を、カウント1における「密着し」(adherent to )と同義に解釈するとすれば、その技術的内容を同一とするものであることが明らかである。

そして、我が国における本件発明に係る出願過程において、回路接続用導電物質についての「密接」もしくは「被着」の用語は、昭和三五年(一九六〇年)二月六日にされた原々出願においては、その出願当初明細書(甲第三号証の四)及び昭和四〇年六月二六日の公告時の明細書(甲第三号証の二)にはみられず、昭和五二年(一九七七年)九月二八日発行の訂正公報(原々出願補正明細書・甲第三号証の一)において、「縫箔」が「被着」と補正されて初めてみられ、昭和三九年(一九六四年)一月三〇日にされた原出願については、その出願当初明細書(甲第三号証の五の2)にはみられず、原出願補正明細書の特許請求の範囲(甲第四号証)において「密接し」と明示されるに至っている。昭和四六年(一九七一年)一二月二一日にされた本件出願については、出願当初明細書(甲第六号証の五)にはみられず、昭和五五年(一九八〇年)六月一二日の補正明細書(甲第六号証の八)において初めてみられ、本件明細書(甲第二号証)に引き継がれている。また、前示カウント1の絶縁物質と回路接続用導電物質及びこれによる電気的接続に関する具体的構成に対応する構成が、特許請求の範囲に記載されるに至ったのは、原出願補正明細書においてであり、本件明細書がこれを引き継いでいるものと認められる。

(5)  右の米国における経緯と我が国における経緯に照らせば、原々出願当初明細書がその優先権主張の基礎となった米国特許出願第七九一六〇二号(米国特許第三一三八七四三号)明細書(甲第六号証の二及び三の各2)のほぼ忠実な翻訳であることからして、原々出願当初明細書に開示された技術事項は、キルビーの六〇二出願である右米国特許出願明細書に開示された技術事項と同一であり、その範囲を出ないものというべきである。すなわち、キルビーの六〇二出願には開示されていない「密着」する技術手段は、原々出願当初明細書の「縫箔」の概念に含まれるものということはできず、この技術手段は、同明細書には開示されておらず、また、これにより当業者が当然に知ることができる事項としても開示されていなかったものといわなければならない。

そして、原々出願からの分割出願である原出願及び原出願からの分割出願である本件出願においては、この原々出願当初明細書に開示された事項を超える技術事項をその内容とすることはできないから、原発明の「密接」及び本件発明の「被着」の意義を、右「縫箔」の意義を超えて、導電物質を絶縁物質上にマスク蒸着し、CVDにより密着し、スパッタリングにより密着する技術手段を含むものと解することはできない。

この解釈は、仮に原発明の「密接」及び本件発明の「被着」が右手段による密着をも意味するものとすれば、このような構成を持つ原発明及び本件発明は、原々出願当初明細書に開示された技術事項に支持されていないとするものであって、米国関税特許控訴裁判所が前示判決において、ノイスの前示特許出願に遅れてキルビーが六〇二出願の一部継続出願としてした第一六九五五七号出願に取り入れた「半導体酸化物の絶縁層表面に『密着』しており(adherent to )半導体表面のP型領域とN型領域との接合を横切って電気接続を形成する導体」というカウント1の要件をキルビーの六〇二出願が支持していないとする判断と、その実質において同一の判断ということができる。

これに反し、控訴人主張のように、本件発明の「被着」とは、回路接続用導電物質が絶縁物質上に接触して形成された状態をいうのであり、それが接着ないし密着しているかどうかは問わない、すなわち、「密着」している場合を含むと解することは、米国において、キルビーの六〇二出願には属せず、ノイスの発明に属するとされた技術事項を、我が国においては、キルビーの六〇二出願に属するとするものであって、あえてこのように解釈しなければならない特段の理由は、本件全証拠によっても認めることはできない。

(二)  イ号物件及びロ号物件の構成と本件発明の要件(c)充足の有無

イ号物件及びロ号物件の構成が原判決添付別紙イ号物件目録及びロ号物件目録記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。

これによれば、控訴人が、その主位的主張及び予備的主張において、本件発明の回路接続用導電物質に対応するものとするイ号物件におけるメモリアレイ部分、センスアンプ部分及び基板バイアス回路部分の各アルミニウム層(30)は、不活性絶縁物質である酸化シリコン膜(24)及びリンガラス中間層(29)上に、また、センスアンプ部分のポリサイド層(15)は、不活性絶縁物質である酸化シリコン膜(24)上に、それぞれスパッタリングにより密着して形成されており、ロ号物件におけるポリシリコン層(27)及び第1アルミニウム層(29)は、不活性絶縁物質である酸化シリコン膜(26)上にスパッタリングにより密着して形成されていることが明らかである。

そうすれば、本件発明の「被着」の意義を、導電物質を絶縁物質上にマスク蒸着し、CVDにより密着し、スパッタリングにより密着する技術手段を含むものと解することはできない以上、イ号物件及びロ号物件は、本件発明の要件(c)を充足するものということはできない。

2  技術的範囲属否の判断

(一)  以上のとおり、イ号物件及びロ号物件は、本件発明の要件(c)を充足するものということはできないから、本件発明のその他の構成要件について検討するまでもなく、本件発明の技術的範囲に属するものということはできない。

(二)  控訴人は、特許発明の技術的範囲は当然のことながら特許請求の範囲に基づいて定められるべきものであるが、この特許請求の範囲の確定に際しては、出願当時(本件発明の場合は本件出願の優先権主張日当時)における技術水準に照らし、何が発明の解決しようとした技術的課題であったか、この課題を発明がいかに解決したかを検討することなしに、単に特許請求の範囲の文言だけを解釈するならば、発明の本質を見失うこととなり、文言解釈としても正しい解釈は得られないと主張する。

この立論それ自体については、当裁判所も異論はなく同じに考えるが、本件においては、前示のとおり、その出願過程を検討した結果、本件発明の構成要件(c)の「被着」が「密着」を含むものであることは、本件分割出願の基礎となった原々出願当初明細書に開示されておらず、この課題の解決は、本件発明の発明者であるキルビーに帰すべきものではなく、ノイスに帰すべきものというほかはないとの判断に至ったものである。すなわち、本件発明の本質からして、「被着」が「密着」を含むものということはできないとしたものである。

また、控訴人は、イ号物件及びロ号物件が出願後に開発された技術を採用しているとしても、出願時の技術において未だある具体的な実施態様が存在しなかったことが、特許発明の技術的範囲に属さないことの根拠にならないと主張する。この点についても当裁判所は同じに考えるし、またさらに、特許発明の構成のうちのある技術手段に代えて、特許請求の範囲の文言解釈からはこれに該当しないとされる出願時には未知の技術手段を採用した場合であっても、当該特許発明の技術的思想をそのまま利用し、侵害時にはその技術的手段の置換容易性が当業者に明らかなようなときには、特許発明の実質的価値の保護のために、このような態様も当該特許発明の技術的範囲に属すると解すべきものと考える。

しかし、前示のとおり、本件発明は原発明と実質的に同一の発明であって、その分割出願は不適法であり、本件発明は本来無効とされるべき瑕疵あるものと評価しなくてはならないのであるから、このような発明に右のような考えを適用することは、発明にその実質的価値以上の保護を与えることになり、妥当ではないというべきである。

なお、控訴人は、集積回路の発展においてキルビーが寄与した功績に言及し、本件発明が尊重されるべきことをいう。キルビーのこの功績は当裁判所にも顕著な事実であるが、我が国では、これに報いるに原々出願に係る発明につき特許を付与し(特許第三二〇二四九号)、その特許権は存続期間満了に至るまで円満に存続したのであって、不適法な分割出願に基づき特許されたといわなければならない本件特許権に基づく権利行使を認めないことは、キルビーの右功績をいささかも損なうものではない。

四  以上のとおりであるから、右いずれの理由からしても被控訴人の本訴請求は理由があり、正当として認容すべきであり、これと結論において同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。

よって、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担及び上告のための附加期間の付与につき、民事訴訟法(平成八年法律第一〇九号による改正前のもの)第八九条、第一五八条第二項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 清水節 裁判官 芝田俊文は、転官のため、署名捺印することができない。裁判長裁判官 牧野利秋)

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